インドのカルカッタ(コルカタ)でお会いしたマザー・テレサは頑固な観音菩薩でした。
1988年2月、東京から45名と大阪から24名の総勢70名の
ピースツアー一行は、タイ国際航空にてバンコックに一泊し、
一路インドのカルカッタへ向かいました。
現在、カルカッタはイギリス植民地統治の痕跡を一掃するために
地名が英語名称のカルカッタからベンガル語のコルカタに変更
されました。
インドの他の大都市では、ボンベイがムンバイに、マドラスが
チェンナイに変わりました。
当時日本からカルカッタ(コルコタ)への直行便がなく、バンコック
で一泊してから行きました。
2月、3月はインドの乾季にあたり、絶好の旅行シーズンのため
交通機関、ホテルとも大変混んでいました。
カルカッタ空港で、入国手続きの時、ふと横を見るとマザー・
テレサ女史が立っていました。
何という偶然なのだろうと近づいて話しかけました。
前もって約束していただいたテレサの祈りの家を訪問する予定を
確認しました。
ちょうど同じ飛行機でバンコックより戻ってこられたそうです。
翌日市内の会場・カルカッタ・スケートティングリンクでピース
セレモニーが
行われました。1000名ほどの参加者で、会場はむせかえる
ような熱気でした。
歌舞伎女形の艶やかな舞い
私たちの中に、若い歌舞伎役者の尾上梅之助さんという祈りの
同志がおられセレモニーの後、あでやかな日本舞踊を披露して
くれました。
楽屋部屋でそのお化粧ぶりを拝見してみると、みるみる美しく
妖艶な顔に変身していく様をびっくりして見ていました。
その時間たったの20分。見事な女形姿です。
まざまざとプロの凄さを垣間見ました。
かつらと衣装は、歌舞伎座の衣裳部屋から借りて持ってこられ
ました。
若し損傷すると何百万円という損害金を払わなければならない
そうです。
思い出すのは、舞の終わりの方で踊り狂う時、上からはらはらと
雪が舞い落ちてくるシーンがあります。
この雪は、特製の紙で出来ており、大きさや切りかたも違い、
小道具係りで特別に調達してきたものです。
私はその雪を天井から降らすため、舞台上の梁のような鉄棒に
しがみつき命がけで振りまくのに汗びっしょりでした。
マザー・テレサの祈りの家を訪問
午後、いよいよマザー・テレサの祈りの家を訪問する時間です。
その前に、各参加者は日本からプレゼントとして、もう使って
いない衣類を少しずつ持ってきていまいした。
新品同然のもの、使っていてもきれいにクリーニングしたもの
などを、ホテルの庭で集め、大きなカートンボックスに詰めると
10何箱かはありました。
それをお土産にして、テレサの祈りの家(修道院のような所)
を訪ねました。
マザー・テレサは快く一同を迎え入れてくれ、お礼だといって
イタリアの聖地アッシジの聖フランシスコ神父が小鳥と戯れている
壁掛けをくれました。
お会いした庭は狭く質素なところですが、そこにピースポール
を立て、一緒に世界平和とインドの天命が完うされんことを英語で
祈りました。
その後、2階の祈りの部屋でシスターたちとお祈りをしました。
その日は、本当に満ち足りた一日でした。
観光旅行で珍しいところを見て歩くのもいいですが、なにか意義の
ある目的を持って、このようにツアーするのは旅行冥利につきます。
マザー・テレサにお会いできたのには、プロローグがあります。
慈悲深く、がんこなおばあさん、マザー・テレサ
マザー・テレサに合えたのもこんな方法で。
先回、日本から行った70名が、マザー・テレサにお会いした話を
しました。
それには、前もった準備がありました。
インド・ピースツアーが出発する2ヶ月前、私はセレモニー開催と
ピースポール建立の準備のためカルカッタ(コルコタ)へ行きました。
インド最大の都市カルカッタ(コルコタ)は、20世紀始めの英国
植民地インドの首都として栄え、独立後も産業・商業の中心地で、
人口約900万人の都市です。
初めての都市で右も左も全く不案内です。
来る前に航空会社の友人の友人である貿易商が唯一の頼りでした。
着いて直ぐその人を訪ね、キリスト教会の神父さんを紹介して
もらいました。
その人からいろいろな人に繋がり、やっと段取りが整いました。
やれやれと安堵したのも間もなく、何故かわからないがマザー・
テレサのことが頭に浮かんできました。
そうだ彼女はカルカッタ(コルコタ)に住んでいると聞いたことが
あります。
早速、英語とベンガル語を話せるガイドさんに頼んでマザー・テレサ
の祈りの家へ連れて行ってもらうことにしました。
ガイドさんが言うのには、彼女は世界中を飛び回っており、あまり
カルカッタには居ることがないと。
叩けよ、されば開かれん!
兎に角行ってみようと彼を引っ張り出しました。
着いたところは、ぐるりと塀に囲まれた粗末な修道院のようなところ
です。
勝手口のような扉を見つけ、どんどんと叩きました。
暫くしてシスターとおぼしき少女が顔を出したので、訪問の意図を
言って、日本からマザー・テレサに会うために来たと告げました。
ぜひお会いしたい旨を、強く訴えました。
数分後、少女がまた顔を出し、先生はお会いするからと言いました。
わあ、なんとラッキィ!飛び上がらんばかりの気持ちです。
案内してくれた部屋は、四畳半ぐらいのところで、木製の小さな机の
上に書類が数センチほど重ねてありました。
隅には、ロンドンから来たという記者が座っていました。
挨拶もそこそこ、世界平和の祈りのことやその展開振りを説明
しました。
2ヶ月後に、日本から70名ほどのピース・ミッションがここを訪れ、
マザーと一緒にぜひお祈りできることを切望していると懸命に口説き
ました。
マザー・テレサは、その頃カルカッタに居ればお会いしましょうと言って
くれました。
その時感じました。これは私の意向が成さしめたのではなく、みんな神の
み計らいによるものだと。
横のガイドは感激のしっぱなしです。
こんな機会に何か書いてもらいなさいと促してきたので、マザー・テレサに
こんなことを書いて欲しいと手帳をひろげて差し出しました。
マザー・テレサは頼んだメッセージは書かず、自分なりの言葉を書いて
返してくれました。
ああ、何てこの人は、自分なりに意固地なほど強い意志を持った女性
なのだなと強く感じました。
目は優しく笑っているようだが、その奥にとても」厳しいものを実感
しました。
その後、シスターの案内で、マザー・テレサが運営しているという
ライ病患者が療養している病院へ行きました。
病院といっても設備は粗末で、ベッドはなくコンクリートの上で患者は
寝ていました。
隣の部屋では、職員が水圧の高いホースの水で床を掃除していました。
ガイドは悲しげに言いました。インドはまだまだ貧しい。今度日本から
メンバーが来られる時は、使い古しの着るものを持って来てもらえれば
どんなに有難いことか。
ホテルからマザー・テレサの祈りの家へ行くのにタクシーを拾いました。
カルカッタ市内の人ごみの喧騒の中を、乱暴に運転する車の前の席
のシートにしがみついて、やっと降りた時手を見ると、爪の間が真っ黒に
なっていたのに気がつきました
日本とのあまりの格差に、カルチャーショックを受けました。